子をおもう

親子のイメージ 1型糖尿病

私は13歳で1型糖尿病になった。


多感な時期だ。


それまで1型糖尿病の存在すら知らなかった私はまさに「青天の霹靂」であった。
とりわけ健康優良児であったもんだから1型糖尿病になっても「完治するもの」だと思っていた。

「治らない、一生付き合っていく病気」と知らされたのは入院後何日か経ってからだ。

それを自分の中で消化するのにどれくらいかかっただろうか。

誰のせいにもできない。
誰の責任でもない。

ただ「運が悪かった」

奥様と夜間の散歩へ出かけた時だ。
たまたま教会の横を通った。
私は「もし、神様がいるとしたらそいつにション〇ンぶちまけてやりたいよ」と妻に伝えた。

自分は俗に言う「神」の存在を信じていない。
一部の人からは反感を食うかもしれないが、そんなモノいないと思っている。
もしその存在に会う事が出来たら絶対に聞いておきたい。
「なぜこの病気を私に与えたのか?」
その存在は言う「乗り越えられる試練しか与えません!!!祈るのです!!!」
私「。。。。。。」

話はかわるが何年か前、実家に帰郷した時だ。
母親に「丈夫に生んでやれなくてごめん」と謝られた事がある。
その時はそっけなく「何言ってんだよw」と言うしかなかった。
おどろいた。

当然だが、私はこれまでこの病気で親を恨んだことは無い。幸せだし。
ただの一度もないが、母親と言うものはそう思ってしまうのだろうか?

今の自分も「人の親」だ。自分の子に対しての気持ちは一緒であろうと思う。
幸いわが子は1型糖尿病じゃないけど。

自分の子は取り合えず、生きてくれていればそれでいい。おそらく自分の親もそうだったのだろうと勝手に思う。

私はグレてた時期があったからね。

私からすると自分の子供に「~になってほしい」と仰っている親御さんはとても贅沢だと思う。

別に勉強が出来なくても、運動神経が悪くても良いじゃない。
ただ生きていてくれれば。


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