高校生の頃。

再スタートのイメージ 1型糖尿病

私が1型糖尿病を発症した約30年前は、地元では珍しい病気であった。
田舎なので噂の伝達も早い、「~家の長男は糖尿病になった」とたちまち広まった。

行きつけの床屋に行った時だ、「贅沢病だね」と言われた。

「贅沢病?」「贅沢はしてないけど。。。」

糖尿病と言えば、食べ過ぎたり、飲みすぎたり、私の地元では、
糖尿病=お金持ち=贅沢病なのだ。

私の家は、決して裕福でもないし、いいモノも与えてもらっていない。

そんな大人に対し、「いやいや、1型糖尿病だから!」なんて
言える気力もない。

言われるがまま、「どうぞ、ご自由に」状態で過ごした。
いつのまにか世間の目が怖くなり、家から出ない生活が続いた。

田舎でも私の持病が認知されてきたのは、それから10年後ほどであろう。

マスコミでも取り上げられ、地元の中学でも、1型糖尿病の後輩がいると噂で聞いた。

思春期という多感な時期にそんな経験をしたのだから親が願う「真っすぐ、素直に」なんて育つはずもない。

私はグレた。

今でいう、マイルドヤンキー的な立ち位置だ。

タバコを吸い、バイクに乗り、友達と遊んだ。

昼夜逆転の生活だ。夜中に家を出て、朝方帰る生活をしていた。

私の親は、私が「生きていればよい」と思っているらしく、当時の私はそれに甘えた。

「理不尽だよな、自分が悪いわけでもないのに周りから色眼鏡で見られて。。。」

バイクに乗っている間は、自分が特別な人間であると感じた。

発症から約25年の月日が流れた、

持病との付き合い方に慣れて、コントロールも思い通りとなったころだ。

もう一度、当時入院していた病院へ行こうと思った。

入院当時、私はよく病院の屋上でバスケをしていた。

バスケと言っても、ドリブルしたり、壁を相手にパスをする程度だ。

入院当時はしょっちゅう屋上へ行き、上から見える歩いている人や、車の流れなどを見ていた。
考え事をしたり、担当医と話し合ったり、親に八つ当たりしたり。

私にとっては思い出のネガティブな場所なのだ。

そこに行けば、何か変わるかも。

そこに行けば、自分の病気を受け入れられる気がしたのだ。

見舞客のふりをして、屋上についた。

思い出した。

涙が出た。当時の辛かった思い出や、ぶつけようのない怒り、不満、この世の残酷さ。

ありきたりな表現だが、蓋をしていた感情が一気にあふれ出た。

どれくらいだろう。涙と共に、マイナスな感情が流れ出た気がした。

受け入れられた気がした。「前を向いて歩こう」と決意した。

この事は誰にも言っていない。私が今でも大切にしている出来事である。

人間は、泥の中を這いつくばって生きるしかないのだ。

今、私と同じ病気で悩んでいる、特に若年層の方。

頑張ってほしい。

自分を嫌いにならないでほしい。

やればできるさ。俺だってできたんだから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました